書籍・雑誌

2009.05.14

『造物主の選択』

ジェイムズ・P・ホーガン『造物主の選択(The Immortality Option)』読了。
前作、『造物主の掟』の続編であり、土星の衛星タイタンで遭遇した地球の中世ヨーロッパ(ルネッサンス期のイタリア?)そっくりの文明を営み、自我を持ち自己増殖する機械生命体(タロイド)の起源と彼らに迫る危機に対し、インチキ心霊術師ザンベンドルフと彼のチームが再び立ち上がるといったお話。

相変わらずホーガンの楽観的な理性信仰と勧善懲悪な役振りいうスタンスには変わりはないものの、『星を継ぐ者』にはじまる『巨人たちの星』四部作シリーズに比べればそれも違和感に苛まれない程度には薄らいだ感じだろうか。
「理性>信仰・宗教」というホーガンの構図は普遍ながら、タロイドの「宗教と封建制の世界」にしろボリジャンの「マキャベリズムの世界」にしろこれらは人間社会が経験し内包している側面であり、それらの側面を人間社会の側(無理難題を仰る出資者や頭の固い科学者たち)にも同様に描いてみせることで、『巨人たちの星』四部作に見られた「内部(地球人)=正義VS外部(ジュブレン人)=悪」という目も覆いたくなる排他主義的構図に比べ良心的な配慮が見られるからだろう。
とは言ったものの、元ハイデゲリアンsign02か らすれば、近代の理性に基づく科学的思考も中世のカトリック教会の信仰もその源泉は基を一つにしているのだから、そもそも「理性VS宗教」という構図はあまりに短絡的すぎるし、ウェーバーにしても脱魔術化の下近代化を推し進めたのはプロテスタンティズム倫理だったわけで…
まぁ、理性を宗教や信仰より高位に置いた態度でタロイドに接する以上、果たして宇宙時代の彼ら地球人が中世さながらの社会を営む個のタロイドたちを尊重しているのかどうかは怪しいもので、遅れた文化(タイタン)を進歩した文化(地球)を教育し保護するといった姿勢が垣間見え(ミルの『自由論』の「判断力のある大人について」のくだりに似通う)、「誤った干渉の危険」は考慮されていないのではないだろうか……だとすればタイタンを植民化しようとしてた地球のお偉方と大差ないようにも思われる。

 
……と違和感を感じ突っ込みは尽きないが、無闇に倫理などを問うのもエンターテイメント小説に対し野暮というもので、その楽天性こそがホーガンの魅力と考えた方が楽しめる。
古典的ダーウィニズムに基づいた突然変異と自然淘汰が、まさにひょんなことから機械(人工知能)にも起こりかつ生殖まで始めてしまうなんて発想はそのたまものだろうし、でなければあの秀逸なプロローグの描写も生まれてこなかったわけだ。
それに、未来の地球が「電子共産制」であるなんて素敵なアイデアも生まれてこないに違いない。

何よりこのシリーズの最大の魅力は、コミカルかつユニークなタロイドたちの振る舞い―彼らには非常に申し訳ないと思いつつも、タロイドのサーグ“ガリレオ”グルアーク“モーゼ”の兄弟に降りかかる受難劇の域の災難をどこか滑稽に感じ、つい更なる彼らの不幸を願ってしまうtyphoon―と、ザンベンドルフが時折見せるシニカルな発言、および彼に手玉に取られる科学者達が繰り広げるなんともエスプリに溢れた情景だろう。
例えば、前作でザンベンドルフと認知心理学者兼奇術師マッシーが大衆について繰り広げた論争は、ミルの「豚とソクラテスの論法」(当然ザンベンドルフは豚を捕りマッシーはソクラテスをとった)を思い起こさせ、その術中に迷い込んでいくあたりは大変面白かった。
また、作中後半で大活躍するボリジャンの人工知能ジーニアス5は、S.A.C.のタチコマと重なりその勇猛さと知的好奇心によって僕の心を鷲掴みにした。

インチキ心霊術師(つまり確信犯)を演じるものの実は理性への傾倒に溢れたザンベンドルフが放つ、

「真理を追究する科学者にはメダルしか贈らず、いかさま師には富と栄誉を惜しまない社会に嫌気がさして、それなら世間が望むものを与えてやろうとこの商売を始めた」
 
「…馬鹿者を愚かさから守ってやっても、彼らを賢くすることにはならないんだよ……ぼくが食えなくなったら、それはいくらか人間が利口になったってことさ」

といった台詞はなんとも世知辛く心当たりに溢れ苦笑してしまう。
いかさま師より研究者の方が遙かに博奕な稼業になっているあたりリアル過ぎて笑えないが……(;´Д`A ```

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2009.02.16

密謀

昨日届いた藤沢周平の『密謀』を読了。
Noae_kanetugu_yoroi_2 物語は、安土桃山時代から関ヶ原の合戦までを舞台に、今をときめく義将・直江兼続と彼を取り巻く人々中心に展開していく。
ときめき過ぎて書店で買うのは躊躇われ、アマゾンで購入したのだが、にわかに直江を知り興味をもったわけではない(大河の影響がないとは言わないが…)。
僕にとって直江山城と言えば、漫画『花の慶次』の印象が圧倒的に強いのだが、それと重なるエピソードはほぼ皆無、作中に莫逆の友「前田慶次郎」の名は一度登場するのみで長谷堂城の戦いにもその名は出てこなかった。
また当然ながら史実に基づいてお船の方は妹ではなく、姉さん女房として登場する。
作品名の如く、大規模な戦闘場面は極力避けられ、事件に先立つ政治工作やその背景、兼続らを通した様々な登場人物の人物評が中心に描かれている。
また、影で兼続らを支える「与板の草」(諜報部隊)や牧兄妹らのエピソードが物語に幅を与えている。
兼続自体が勇将である前に上杉家の執政としての役割が強いため、上記のような描写が中心に来るのは当然で、そこに少年漫画の主人公である傾奇者が華々しく活躍する余地も当然なかったわけである。

時折登場し、時代を進める長々とした歴史的事実の描写は、事象に対して作者の斬新なアイデアが盛り込まれているわけでも取り立ててユニークな解釈がなされているわけではなく、史実の概略を既に知っているものとしては少々退屈してしまう。
更には、牧兄妹を登場させたのならもう少し本多正信を上手に有効利用できたのではなかろうか、まだ使える設定が放置されたままになっていると思ったのは気のせいだろうか。
全体として物語も、人物像(兼続・三成の視点から描かれる家康の人物像にしても山岡荘八の『徳川家康』一辺倒ではない現代においては…)もスタンダードで目をひくものはないのだが、それでもついつい読み進めあっという間に読了させたのは作家の筆力か……typhoon

個人的には、歴史小説よりも江戸期の人々の風俗や心の機微を巧みに描いた「海坂藩」を舞台にした作品群や『蝉しぐれ』、『用心棒日月抄』シリーズなどの時代小説の方がユーモアを感じて好みかもしれない。

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2008.12.13

ディファレンス・エンジンとポーション

バイトの帰りにコンビニによると悪名高きポーション(コンプのため前回箱で大人買いした人に痛い目を見た人は数知れず…typhoon)を発見。
サントリーが『DISSIDIA FINAL FANTASY』とコラボレート(この場合なんと言えばいいのだろう?メディアミックスではないし…阿漕な商法と言っては身も蓋もないわけで…)し缶表面に歴代キャラクターの絵をあしらった清涼飲料水である。
メーカー側の思惑通りキャラクターの絵を懐かしんで試しに一本買ってみた。
相も変わらず味はポカリなどと大差なく美味しいわけでもなく、ステータスバーも当然見えないので体力が50回復したか分かるはずもなく………分かっていたこととは言え微少な後悔に襲われる。

Pc130119

因みに、僕が選んだ缶の表面にはFF6のティナとケフカが描かれているが、このことは偶然ではなく恣意的である。
というのも先日、スチームパンクの記念碑的作品とされるウィリアム・ギブスンブル-ス・スターリングの共作『ディファレンス・エンジン』を読了していたからだ。
その世界観に、FF6冒頭の世界から魔法の力が消えた後に機械文明を持って復興を果たした社会、霧に包まれた始まりの街などに幾分重なる箇所があるように思え手に取ったのである。
『ディファレンス・エンジン』は所謂歴史改変SFであり、19世紀ヴィクトリア朝のロンドンを舞台に高度に蒸気文明が発達した(蒸気コンピュータに蒸気自動車、蒸気映像etc....)オルタネイティブな世界が描かれている。
そこは、クレジット・サービスもコンピュータ・ウィルスも社会保険までもが蒸気を動力や媒介とする(200年の歴史を数える競馬の本家ダービーさえもが蒸気機関だ!?)、まさにSteam Revolutionを経た蒸気に包まれた大英帝国。
そこでは、ロマン派詩人バイロンが技術をバックボーンにした急進的な産業ラディカル党党首兼首相の重責にあり、その娘は「エンジンの女王」の異名を持った偶像として物語を掻き乱すwine
同じくロマン派のジョン・キーツは俊英の蒸気映像作家(黎明期の映画を思えばいい)として名を成し、ワーズワースはアメリカ大陸内陸部にユートピア国家を建設、マルクスはマンハッタンにコミューンを築き、福沢諭吉や森有礼らは西洋文明の吸収に奔走する…
この物語に潜在或いは通底する主題は、ゲーデル不完全性定理であり、更にはバージェス頁岩のカンブリア紀の生物が示すようなな歴史の偶発性である。

そんなわけで両者の間には大きな隔たりがあるわけだが…

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2008.04.14

バウムクーヘン -木の菓子-

P4120308 本日も主食は、バウムクーヘンrestaurant
美味かつお腹も膨れるので、インカム前のお財布は、引き出物に感謝。

『広告批評』とPC雑誌の『Login』が休刊になるそうだ。
前者はよく書店で立ち読みしていたし、後者は小学校の頃に父が購読していたのを読ませて貰っていた。
てか、どっちも買ってないなぁ
海の向こうの『Le Monde』のストライキ(経営不振による人員削減に対するスト)による32年ぶりの休刊にせよ、人々が情報入手メディアをシフトさせたことが理由だが、バウムクーヘンの内側が失われていくようで寂しい。
気がつけば年輪に大きな虫食い痕がついているかのように・・・
しかし、『エミール』において変態で名をならすジャン・ジャック・ルソーは、

「十歳では菓子に、二十歳では恋人に、三十歳では快楽に、四十歳では野心に、五十歳では貪欲に動かされる。人間はいつになったら、英知のみを追うようになるのだろうか・・・」

と言っていたから、10歳の僕は虫食われる年輪も何もなくて、あるのは虫歯だけかもしれないtyphoon
まぁ、この記述には全面的に賛同しかねるのだが・・・
変態さでは並ぶ者のない、かのフロイトさんならば、

「性愛は思春期に性器が成熟する時になって、はじめて起きてくるとする考え方は、支持できない誤った考えである」
「子供の豊富な性生活が、正常な大人の性生活と違っている点は、第一には、種の限界(人間と動物の間の深淵)を無視していること、第二に、不潔感の限界を踏み越えていること、第三に、近親相姦の限界を破ること、第四に、同性愛を平気でやること、第五に、性器の役割を他の期間や部位(口とか肛門とか)に移すことである」

なんてことになるんだろうなgawk

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