映画・テレビ

2009.11.13

『KEY LARGO』

ジョン・ヒューストン監督の『キー・ラーゴ』(1948年・米)を鑑賞する。
出演は、僕らのハンフリー・ボガート、エドワード・G・ロビンソン、ローレン・バコール、ライオネル・バリモア、クレア・トレヴァーら。

 物語は、フロリダ半島にある小島「キー・ラーゴ」に、先の大戦の復員将校フランク・マクラウド(ボギー)が亡き戦友の遺族を見舞いに上陸するところから始まる。そこには、イタリア戦線で失ったフランクの部下の父(ライオネル・バリモア)と、部下の未亡人ノーラ(ローレン・バコール、そういえば当時、ボギーと結婚していたはずsweat01)が島で唯一のホテルを経営していた。ハリケーンも近い休閑期、ホテルには、ブラウンという男をボスにする5人の男たちとそのアル中の元歌手で情婦のゲイ(クレア・トレヴァー)の5人が泊まっているだけだった。フランクは、ブラウンがギャングの頭目ジョニイ・ロコ(エドワード・G・ロビンスン)であることに気付くのだが、度重なるDQNなロコの暴虐にも、戦争によるヒドイ虚脱感から未だ抜け出せないフランクはヒーローの如く抗い誅することもなく黙するばかり。そんなフランクを見てノーラはその腑甲斐なさを罵る。 やがて、夜更けて激しさを増していくハリケーンの脅威に呼応するかのようなロコの暴威に対し、ついにフランクは沈黙を破り立ち上がる……。

 身もふたもないことを言ってしまえば、無気力と相まって耐えに耐えたものの、そこはヒーロー、最後にはやっぱりブチっと来ちゃって大活躍の篭城型ハードボイルド・サスペンス。クライマックス・シーンを考えればサスペンス感がイマイチな気もするが、ハリケーンと共に狂気を増していくG・ロビンスンの演技と、見事なアル中っぷりを魅せるクレア・トレヴァーの演技は一見の価値がありヽ(´▽`)/
 そして、僕らのボギー、ロビンスンに(寡黙な役柄のせいか?)演技で食われているとはいえ画力があるところは流石shine余りのへたれっぷりに、ノーラからそれでも男ですか!?軟弱者っならぬあなたは腰抜けだわ」と言われようとも、ボギーはボギーなんだよなぁΣ(゚д゚;)襟を立てたラグラン袖のトレンチコートにボルサリーノが似合うダンディズム漂う男なんて、ボギーを差し置いてジャン・ギャバンぐらいしかいないものなぁ(*´д`*)ハァハァ
 でも、やっぱ『三つ数えろ』や『黄金』の方が好きかもしれない。秘かにウィリアム・ホールデンを食ってしまった豪奢な『麗しのサブリナ』も捨てがたいがtyphoon

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2009.08.14

サマー・ウォーズ

いっそなかったことに……

細田守の『SUMMER WARS』を観賞、良作。

月初めの公開にも関わらず、お盆休みも重なってか満席、暑し。
親子連れから恋仲、ヤンキーまで客層に一貫性は見られず…
個人的には、貞本義行のキャラデザ+『デジモン』、『ナージャ』、『おジャ魔女』の通過儀礼(男爵は未見orz)を経たうえで足を運んだのだが、同志は少数で、むしろ大多数は先日番宣の為に放送されていた『時かけ』が契機なのかもしれない。

いわゆる、セカイ系の作品。
アバターから始まり、仮想空間と現実世界の境界の消失、かつクリプト解読が冒頭に出てきたのでニール・スティーブンスの『SNOW CRASH』を思い出したのだがそっちには進まず。
長野県上田市が舞台で、作中の武門への言及から真田家が想起され、ここにも戦国ブームの波が…と思ったのだが深読みのしすぎか…?
単に日本の原風景イメージ(宮崎駿へのオマージュ?)と監督の嫁つながりかしらん?
真田ということでやたらと逆境・負け戦を登場人物が強調していたが、その主従先であった武田に滅ぼされた側を色濃く知るものとしてはアイロニーにしか聞こえないorz

セカイ系ならばキミと僕が主人公かつラブコメかと思いきや後半まで影が薄く、中心軸は90歳の御祖母様だった。
先日、同年齢の痴人の御祖母様とお会いしただけに何やら妙な偶然を感じる。

何と言っても個人的には、引きこもり系空手通信教育少年カズマが操るアバター、「キング・カズマ」のベジータっぷり(つまり噛ませ犬)が壺でした。
てか、声のせいでてっきりカズマは俺っ娘キャラだと思っていたよΣ(゚д゚;)

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2009.06.15

天地人 -翔べ 激眉人間魚雷-

今週も引き続きNHK大河ドラマ『天地人』観賞。
相変わらず演出が奇天烈で腹筋が鍛えられる。
以前のエピソードでは本能寺の変で織田信長が、流星降る空が映った後にドクロべぇ様のお仕置きもびっくりな壮絶な爆死(もはや大河ドラマというより特撮モノの最期の怪獣・怪人爆破シーンに近かった)を遂げたが、今週もそれに負けず劣らずのデカルチャー(*゚∀゚)=3ハァハァ
今週は酒の席にて羽柴家の猛将福島正則(石原良純)が、木村佳乃演じる千利休の娘お涼に豪快に投げ飛ばされた。
泥酔し絡んできた正則を、お涼が見事な柔らの技(袖つり込み腰か肩車か技の名前はよく分からないが)で持って投げ飛ばしたのだ。
へべれけな酔っぱらいを軽くあしらい投げ飛ばすだけなら別段変わった演出ではないだろうが、投げ飛ばされた正則は宴会部屋から飛び出し縁側を越え中庭の植え込みの中までゆうに4~5㍍以上吹っ飛んでいったのである。
セガタ三四郎も猪熊柔も刮目の技の切れであろう。
その光景はまるでマジックで大砲に詰められ発射される眉毛の濃い人間魚雷のようであった。
いっそ父親の方を日本海にでも向けて発射して貰いたいものだが・・・

お船の方演じる常盤貴子がインタビューで「今までにない印象に残る大河ドラマにしたい」と述べていたが図らずもそのようになっているのではなかろうか(笑)
まぁ人間ドラマそっちのけで演出の方にばっかり気がいってしまうのでは演出側の意図とは異なるのだろうが、おかげで説教臭さや演出のいかがわしさを感じることは少ない気がする。
何かとメディアで持ち上げられるせいか未だ戦国武将ものの需要は多いようで多くの教養(?)番組で“ためになる”エピソード的なものが持ち出され脚光を浴びてるが、そのような予め学ぶべき教訓(つまり現代でも使えるようなノウハウ)を恣意的に設定した上でそれに沿って歴史上の人物を掘り下げる(掘り下げたつもりになる)といったものを感じない。
つまりこのドラマは“ためにならない”
こういうと問題有りのようだが、むしろ反対に害無く楽しめる。

勿論、俗に桶屋の大工の倅と言われる酒豪・福島正則の酒に纏わる数々のエピソード(酔った勢いで家臣を殺し後で泣き嘆いたり、浮気がばれたり、酒比べで母里太兵衛に天下の名槍日本号をくれてやったり。後の安芸広島の大名であるが現在なら……泥酔し辞任した大臣がいたような…)は有名で、今回のシーンにしても、後々の三成ら五奉行(文官)と家康ら五大老(武官)との間の権力闘争への伏線的な意味合い(お涼は三成の取りなしでその場におり、物語のクライマックスになるであろう関ヶ原に向かう「小山評定」において正則は重要な道化を演じる。また裏で家康も北条氏政と酒を酌み交わし意味深な台詞を吐いている)もあるのだろうが、この投げっぱなしのせいでそんなものはどこかに霧散してしまった。

「天地人」といい『センゴク』(武田信玄はマーロン・ブランド、山県昌景はクラーク・ゲーブル、ヒュー・グラントの明智光秀、ミック・ジャガーの本願寺顕如、ゲバラのような雑賀孫一....etc 現在連載中の手取側遍の上杉謙信に至ってはプ-チン首相にしか見えない、というか越後衆自体北国のせいかロシアマフィアのような印象Σ(゚д゚;)『戦国BASARA』(本多忠勝がメカ!伊達政宗が桶狭間急襲!!)といい、演出とビジュアルの破綻の構築がなされた作品の方が“ためになる“番組よりも遙かに至極面白い。

今週は最期に主君・景勝が心の病で壊れてしまったが、次週はさてどうなることやら…
偉大な先代謙信の影に苛まれ、現実の理想との間のクレヴァスに飲み込まれてしまった景勝さんであるが、次回辺りでグレちゃって「あいつの名を出さないでおくんな!もう、あいつの影に縛られるのはごめんなんだよ!!俺は自由に生きるのさヽ(#゚Д゚)ノ┌┛)`Д゚)・;………明日からは、この青い空の下、大地全てが俺の住処だ!!!漢一匹、心は侍よ~(゚Д゚)ノ等と叫ぶ家出した中二病ロッカーになってたりしないかしらん?
そんなお家を飛び出したかつての主君を場末の酒場で兼続が発見して、「やっぱり景勝様だ!こんなに変わってしまったけど……私にはわかる(/□≦、)と呟くみたいな学園物風劇的演出……好期待。

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2009.06.04

『ターミネーター』

テレビを付けるとT4の番宣のためか、映画『ターミネーター』が放映されていた。
主役の殺戮機械は今やカリフォルニア州知事になっているが、ディスプレイの向こう側では、眉毛を剃り落とし陰部臀部丸出し銃をぶっ放し闊歩しているのだから、人生何が起こるのかは分からないものだ……Σ(゚д゚;)

子供の頃に『日曜ロードショー』で見たときも思ったが、束の間の休息なのか吊り橋効果なのかは知らないが、危機的状況を差し置いてモーテルでしっぽり往っている二人には、「交際に夢中になって仕事をおろそかにしてんじゃないよ」とお局さんの如く突っ込みたい。
或いはそんな時でも盛らなければ適齢期を逃し所謂負け組になってしまうという教訓か?
いずれにせよ、未来の人類のリーダーがその場の勢いの産物だなんて刹那的で素敵すぎるじゃないか…
名作『T2』でその少年期を演じたエドワード・ファーロングはどこか屈折した翳りがあって、同性ながらに格好いいと思ったのもそこら辺のコンプレックスかしらん?
まぁその翳りが俳優としてのキャリアにも投影されたのか、その後耳にするのはドラッグとアルコール絡みが大半で、最近では『CSI:NY』で見かけたぐらいだか……

当時のSFX(もはや完全に死語だ)やマッチョ知事のトレードマークとなった台詞『I'll be back』など見所は多く、その後数多のエピゴーネンを生んだ本作だが、僕自身の記憶に最も残っているシーンは、『日曜ロードショー』で御大淀川長治氏が前説で言った、

「はい、雷鳴るね、で、裸の男が現れるね、まあやらしい。…そんな映画、お楽しみ下さい!」

という名解説だろうか。
久しぶりに『T2』も見たくなったが、それ以上に柔らかい口調でリズミカルになされるあの名解説がまた見たくなった。

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2008.12.19

『華氏451』

フランソワ・トリュフォー『華氏451/Fahrenheit451』(66年英)を観賞。
レイ・ブラッドベリの同名SF小説を、SF嫌い(故に一般的に考えられるSF的な舞台装置は出てこない)で知られるヌーベルバーグの旗手トリュフォーが描いたディストピア。

物質文明が極度に発展し全てが機械化された近未来、そこでは読書が禁止されており、あらゆる知識・情報はTVを通じて伝達されていた。
社会秩序の維持という大義の下、密告が奨励され、相互的な住民自身による監視ネットが出来上がり、表面上は穏やかであるがその背後で人々は思考能力や記憶力を著しく減退させているのであるが、人々はそのことに疑問を持つこともなく、TVの通りに生きることにおいて平和な生活を送ることが出来るのである。。
そこでは、消防士(英:Fireman)の仕事は火を消すことではなく、反社会的であるという理由において禁止された読書を(する人)を探しだし、本は見つけ次第焼き捨てることであった。
そして主人公のモンターグもそんな消防士の一人であった。
ある日彼は、妻によく似た女性クラリスに出会う。
テレビのままに動く妻とは異なり、クラリスは本に情熱を持っており、彼女に感銘を受けたモンターグは生まれて初めて本(ディケンスの『デヴィッド・コパフィールド』)を読み、その虜になってしまう。
そのことを知ったモンターグの妻は手紙に書いて密告し・・・・・・

全編においてトリュフォーの書物への愛がにじみ出ていてどこか微笑ましい。
作中では、ナボコフの『ロリータ』や『チャップリン自伝』、『ダリの画集』、『カイエ・デュ・シネマ』誌などが燃やされるのだがその選択に対し思わずにんまりとしてしまった。
作中に登場する「書物人間」(生死を賭けて書物そのものとなった人々)に、『火星年代記』さんや『サルトルのユダヤ人』さん、並びに『プラトンの国家論』さん、『ガリバー旅行記』さん『高慢と偏見』さんらがおり、なかなかのエスプリとなっている。

そもそも読書を禁止するといった設定は、ジョージ・オーウェル的な窮屈な管理型未来社会に見られる一つの典型なわけではなく、殊更に未来に限らず秦の始皇帝の焚書や戦時中の検閲、青少年に有害な図書を見せないよう日夜奮闘するPTAのおばさま方など、時代を問わず偏在する普遍的な問題と言える。
原作が1953年であることを鑑みればアメリカにおける赤狩りをブラッドベリが意識しているのは明らかであろうし、主題は社会における情報統制、つまり知ることの禁止に対する警鐘あるのも明らかであろう(たとえ、ブラッドベリ自身が主題は「TVによる文化の破壊」といったところで、作中で示される「エクリチュールから音声言語への回帰」という方法で異なる在り方をした同様の反復をしている以上説得力はないように思われる)
もっとも、作中とは異なる仕方で物質文明が発達した現代においては、その主題が警鐘を鳴らす領野は紙媒体に留まるものではないが・・・

因みに華氏451℃とは≒摂氏233℃であり、自然に紙が燃え始める温度を意味している。
また、アニメ版『図書館戦争』では本書が禁止されており、マイケル・ムーアの『華氏911』は本作に由来する。

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2008.12.18

アングラ

あるエライ人は僕に向かって、

「○△君ってさぁ、アンゴラ映画好きやん……(*゚▽゚)ノsign02

と言った。
………アンゴラ映画……( ゚д゚)エッ....?

 

  1. アンゴラ[Angola]
     
    正式名称アンゴラ共和国、旧ポルトガル領西アフリカ。首都はルアンダ。アフリカ南西部の国であり、北東はコンゴ民主共和国、南にナミビア、南東にザンビアと国境を接する。また隣国からコンゴ共和国を隔てて約40㎞程の位置に飛び地になっている州を持つ。気候は、大西洋を臨む西部の海岸平野において高温湿潤だが国土の3/5を占めるサバンナの中央高原は平均気温19℃と過ごしやすい。
     15世紀から19世紀末までの4世紀もの間欧州列強の奴隷貿易の草刈場となり国力は著しく衰退した。また1975年の独立以後も米ソ冷戦の代理戦争、ダイアモンドを巡る資源戦争などの度重なる内戦によって疲弊は更に極まった。
     住民の大部分はバンツー語系で、公用語はポルトガル語、90%がキリスト教徒。鉱山資源の輸出やコーヒー、サトウキビなどの農業が主な産業となっている。

     
  2. アングラ
     アンダーグラウンド[underground](地下)
    の略。元々は地下活動を通じての反体制活動(例えば、ナチに対するレジスタンスやパルチザンなど)を指した。文化的側面としてのアングラとは、主に1960年代以後の世界各地で生まれた前衛的・反体制的・実験的な文化活動を指し、ポップカルチャー・現代美術・映画など多くの領域において様々な手法で展開された。またその反体制的・反商業主義的姿勢は時代の機運であったカウンターカルチャーの一翼を形成した。
     映画においてはアメリカで盛んに製作された私的な非商業的映画が主に挙げられる。20年代の前衛映画の流れを汲みつつ、40年代のケネス・アンガーや50年代のブラッケージらの作品を萌芽として、個人レベルへの16㍉及び8㍉映画の普及を背景にした、内容や作り手の多様さが一つの特徴をなしている。日本においてはその影響は大島渚や松竹ヌーベルバーグ(仏蘭西本家のそれは50年代がメイン)に見られる。
     演劇においては、新劇などの既成の演劇の破壊と新生を目指す一連の演劇活動を指し、寺山修司の「天井桟敷」や唐十郎の「状況劇場」が代表的な担い手であったが、新劇や商業演劇との迎合の結果、現代においてはその本質的な初期衝動は失われている。
     
  3. アングラ[ANGRA]おまけ
     僕が主に中学時代によく愛聴していたブラジルのメロディアスなヘヴィメタバンド。Helloween系ジャーマンメタルとクラシックを融合させた曲風が特徴的であったし、技術レベルでも高いものがあった。
    1stアルバム『Angels Cry』に収録された同名曲は秀逸で今でもi-tunesに入っていたりするが、2枚目以降のブラジル民族音楽的要素の導入、3枚目からのボーカルの入れ替わりなどを経て僕の嗜好とは道がはぐれてしまった。
 

 ………はてさてアンゴラ映画……であるがエライ人の真意は……
確かに僕は、ルワンダの内戦を描いた『ホテルルワンダ(Hotel Rwanda)』『ルワンダの涙(原題:shooting dogs)』を観賞したことがあるが、それはあくまで「ルアンダLuanda」ではなくアフリカ中東部に位置する「ルワンダRwanda」共和国の内戦を描いたものであり、当然いずれも制作元がアンゴラ資本なんてことはなくアンゴラ映画と呼ぶには飛躍があるし、エライ人のことだから十分に考えられうる一字違いの勘違いがもたらした若干お馬鹿な発言だったと捉えても、そもそもそれらの映画自体が真摯にとらえる内容ではあるがとりわけ僕の好みではあるというわけでもない。
よって1の可能性は低い。
或いは、遙かにこちらの推測を超越して

4.アンゴラ
 アンゴラ山羊並びにそれに似たアンゴラ兎の毛を使ったもの。通称「モヘア」

なんて選択肢も存在するが、さすがにそんな素材オチはないだろう。
また、3の存在をエライ人が知っているとは到底思えないわけで、とすると、エライ人の意図するところは2だろうか?
それともそもそも僕が聞き間違ったのだろうか?
聞き返してみた。

 

「……ア・ン・ゴ・ラ映画………?」

「うん、アンゴラ
ariesアンゴラ映画とか好きやん\(;゚∇゚)/」

「…………
( ̄◆ ̄;)


 

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2008.11.06

『レッドクリフ partⅠ』

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神戸は南京町で遅い昼食。
飲茶セットのわりに肝心の飲茶が少なかったのは、南京町にも関わらず北京料理を食べたせいか!?
飲茶自体は美味しかったのだけれど…・・・

 その後、兵庫県を志半ばに彷徨った後、映画『レッドクリフpartⅠ』を鑑賞。
タイトルが示すとおり、三国志の山場である「赤壁の戦い」を描いた歴史スペクタクル映画。
某映画サイトには「史書『三国志』を基に~」とあったが、内容からして明らかに娯楽小説『三国志演義』の誤りであろう(故に、歴史オタク的な史的突っ込みを入れるのは野暮以外の何者でもない)
そんなわけで必然的に蜀或いは呉側の視点から描かれるわけで、『蒼天航路』ファンの僕としては少々鬱憤が溜まる部分(キャスティングにおける蜀・呉と魏の間の格差は何なんだtyphoon?)もあったりはしたが、エンターテイメントとして秀逸であった。
まさに「英雄、乱世と色を好む」といったストーリー展開なのだが、そこにこそ監督ジョン・ウーの特色が色濃く出ていたように思われる。

『M:I-2』でハリウッドを極めただけあって、映画後半の「八卦の陣」で戦う大規模な戦闘シーンなどのアクションに関するアイデアの豊富さは流石の一言。
次はどんな演出を見せてくれるのか、とわくわくさせられた(色んな意味で張飛の一旗駆けは必見であろう!)。
「赤壁の戦い」という一つの事件を切り取っただけに、大局的な戦略というものは見えてこないものの、戦闘における戦術の展開、指揮、遂行といった三国志演義の魅力は充分に伝わってきたように思う。
見ていて『ベン・ハー』の戦車シーンを思い起こさせられたのだが、監督が意図するところだったのだろうか?

反面、この監督は無垢な男の子すぎるのか初心なのか、ラブシーンの描き方がどうも拙くて、そこが妙にむず痒くエロティックであった。
スクリーンの中の男たちはどこかナイーブで視点が定まらず、女たちはそこに存在するにも関わらず朧気に肉体のみが現前するかのような印象を受けた。

結局映画は、肝心の水上戦に移る前に一部幕引きとなるのだが、続編を見に行かせるには充分な魅力があった。
三国志自体が歴史大作だけに、万人に見せるために人物紹介や幾つかのエピソードによって中盤展開が中弛みしたのも致し方が無く、続編においてそれらの必要がなくなりエンターテイメントに徹したジョン・ウーを見ることが叶うならば、むしろ期待は膨らむと言うものだ。

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2008.10.31

『into the wild』

予告編 

 ロードムービーには採点が甘くなりがちになることを踏まえても、大好きなエディ・ヴェダーが歌っていることを差し引いても、僕の嗜好に嵌る作品であった。

 ケルアックの『on the road』を思い出した。そういえばエディはケルアックのアルバムにも参加していたっけ?先日見直した『no direction home』の中で、在りし日のギンズバーグはディランを見て、「ビートジェネレーションの衝動は60年代にも引き継がれている」といった趣旨のことを述べていたが、90年代、さらにはミレニアムを超えてもその命脈は保たれていたのかもしれない。

 映画の中で彼は、ひとり旅立ち、ひとり消えて行く。薄青い不安な目をした彼の表情が印象深い。フィルムに美しく納められたアラスカの自然がそれをより引き立てるのかもしれない(撮影監督は『モーターサイクル・ダイアリーズ』のエリック・ゴーティエ)。或いは、アラスカは100年前のアフリカだったのか?
 ただただ自己の在り方に配慮するという動機によって点火された蒼白い流星の輝き…然らば、彼がその目的の為に払う代償は…恐らく彼は知らなかったし、知ってはならなかったのではあるが……

公式HP
 

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2008.10.02

この物語はフィクションです。

5月22日の日記にて、

★「以下の作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件などには、一切関係がありません。しかし、私が実生活で知っている人々もほとんど架空なので、この断り書きには大した意味はありません」

と記したが、上記に対するベンサム的補足にして補完。

「われわれの精神のなかに生じる何事についても、フィクションというやり方以外では、語ることはできないし、考えることも覚束ない」
       (Bentham,“A Fragment on Ontology,”p.199 )

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2008.09.08

揺れる大地

HDDから映画鑑賞。
この前に引き続きルキノ・ヴィスコンティ、題目は「揺れる大地」
プロの俳優を一切使わず、舞台であるシチリアの漁村に住む人々を使って(クレジットには出演:シチリアの人々とある)、貧困と搾取にあえぐ漁師達の人生の苦難と僅かな希望を描く辺りは、まさにイタリア・ネオリアリズム

物語は、村の網元(つまり魚を卸す仲介業者)による不当な搾取に反発したある一家の長男(漁師)が、家を抵当に入れて銀行から融資を受け網元をから独立するのだが・・・・・・・といったところである。

「貧民は鉄鎖以外失うものがない故に、貧困は人々が抑圧の足枷を断ち切るのに役立つのだ」という観念を顕わにし周知にしたのはマルクスの教義だっただろうか(マルクスが有名にしたといってもそのような観念自体フランス革命以前には殆ど知られることの無かった観念だが…)
映画を見ていてそのようなことを思い出した。
私が思うに映画の中に見つけたのは貧困ではなく、不幸と欠乏の連鎖であった。
また、彼らが希求したのは自由ではなく豊かさであった(貧困から自由とも言えるがそれはリバティでありフリーダムではない)

そして物語の顛末は、いかにも旧世界としてのヨーロッパ的なものだった。
もし描かれた舞台が、歴史ある旧世界ではなく新大陸アメリカの寒村であったなら異なった結末もあっただろう。
無論、旧世界をこの上なく知るヴィスコンティが描くスクリーンは前者以外にあり得ないわけだが。
あるアメリカの革命家は、アメリカ独立戦争を共に戦ったフランス人将校に次のようなことを警告したそうだ。

「希望がこの処女地における私たちの勝利に影響されないようしなくてはなりません。貴方たちは私たちの感情を共有しておられる。けれども、その感情を何世紀もの間堕落していた国に植え付けようとするなら、私たちの場合よりもっと侮りがたい障害にぶつかるでしょう。私たちの自由は血で勝ち取られたのです。旧世界に自由が根を下ろすには貴方たちの血が奔流のように流されなければなりますまい。」

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2008.09.04

夏の嵐

ルキノ・ヴィスコンティの「夏の嵐」を見る。
思うにヴィスコンティは制服マニアだ。
彼にとって機能性を廃した美しい軍服は正に滅び行く美を体現するアイテムなのかもしれない。
青年将校の纏った軍服が白かったのは、無論、彼の血を吸って紅に染まるためである。
と、あることに気付くまでは真面目に見ていたのだが…
 
ずばり、青年将校フランツ・マーラーを演じるファリー・グレンジャーマイケル富岡に見えて仕方がない。
そうなると、豪華絢爛な歴史大作(題材がイタリア独立戦争)の醍醐味も、官能的かつ残酷な恋も、もはやマイコー・フィルターを通してしか見えなくなっている。
きっとデカイんだろうなぁ…そりゃ貞淑な人妻もさぞ……щ(゚Д゚щ)カモォォォン……といった低俗なことを思わなくとも、オーストリア人青年将校がいつかUFO仮面ヤキソバンlovelyに変身するのでは…と思えて仕方が無くなる。
一度すり込まれるともうダメだ。
ナルニアのときもカスピアンが「もこみち」に見えるようになってからはダメだった。

ヴィスコンティの描く「滅び行く美」は、もはやどこへやら……
それが大衆的な乾燥麺に駆逐されるのだから、これ以上のアイロニーはない……

 

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2008.07.15

KINGDOM OF HEAVEN

「宗教はアヘンである」(『ヘーゲル法哲学序説』)

といったのはマルクスだったけど、アヘンを取り締まるべきかは別問題で・・・レーニンがこの言葉を盲信した結果は周知の通り。
けれど、処方箋の有無にかかわらずアヘンが往々にして問題を引き起こすのも事実で・・・

オーランド・ブルーム主演、リドリー・スコット『キングダム・オブ・ヘブン』を見る。
舞台は熱病的な十字軍に湧く12世紀ヨーロッパと、政治的協定下束の間の奇跡的な平和が訪れたエルサレム。
しかし、このガラス細工のような状況を打ち破る出来事が起こり・・・

結論から言ってしまえば、最後に流れるテロップ、

「.........1000年経っても状況は変わっていない」

がこの映画の主題といったとこなのだろうが、それよりも主人公の「エルサレムには価値があるのか」という問いに対して、

「無。だが、全てである。」

と言ったサラディンの台詞の方が印象に残り、そして上記の言葉を想起させたのである。
例のニーチェの告発的な呪詛ではなく、こちらの言葉を想起させたことにこの映画の価値はあるのかもしれず、スコットがアメリカ人であるが故になし得たことなのかもしれないと思ったかもしれないが、映画のクォリティを鑑みれば定かではない。

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2008.06.15

映画 バルジ大作戦 Battle of Bulge

HDDからケン・アナキン監督の『バルジ大作戦(Battle of Bulge)』鑑賞。
一字違いであるがバルジとバジルでは大違いであるので要注意。
ついでにバルジとは地名ではなく出っ張りの意。
第二次世界大戦末期の実話に基づいたフィクションであるが、中々に良くできた戦車映画かもしれない。
スペイン軍の協力の下、実際の戦車を多数使った撮影が売りなのだが、それ故に、ナチの戦車とは大きく異なったりするが、別にミリタリーマニアではないので全く気にならない。
史実によれば冬期の雪面下で起きた作戦であるのに、後半雪が全く出てこないことにも、歴史マニアではないので全く気にならない。
むしろ気になったのは、主人公。
ヘンリー・フォンダ演じる米軍中佐カイリーが主役であるはずなのだが、ナチのへスラー大佐の存在感が完璧に彼を喰っていることである。

現在見ている『インディ・ジョーンズ 最後の聖戦』を見ていても思うのだが、ナチを超える魅力を持った悪役は存在しないのではなかろうか!?と不適切にも思ってしまう。

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2008.04.10

Rogue

先日、ハリウッドと香港合作のお馬鹿な復讐映画を見ていたら、サンフランシスコのヤクザ御用達の居酒屋に怪しげな日本語の立て札の数々があるのを発見した・・・clover
海外映画における日本文化考証の倒錯っぷり(文化考証以前に、日本人役のアジア系俳優達と『トランスポーター』で名を売った主人公の喋る日本語の発話が、今までに類を見ないまでにひどい片言で、映画を見続けるために多大な労力を強いられる・・・)は今更だが、その奇天烈っぷりにやられ本編そっちのけで注視してしまった。
幾つか上げてみると、

・「下手の横好き」
 
脱サラして蕎麦屋を始めたお父さんじゃないんだから・・・「下手の横好き」と名乗った上で料理を出す度胸は買うが・・・Σ(´д`;)

・「弱肉強食」
 確かに食物連鎖に習えばその通りだが・・・これはアメリカ社会に対する皮肉な暗喩か?まぁ、確かに映画の中のシスコに日本料理屋やヤクザが登場すること自体アメリカ型市場原理主義のグローバル化(即ち資本と貿易の自由化の名の下のファンダメンタリズムな市場開放と開発!)の証明でもあるしなぁ・・・。しかし、凄まじくアメリカナイズされた料理が出てきそうだ。或いは、料理は力ずくの奪い合いになるのだろうか・・・orz

・「疑心暗鬼を生ずる」
 そんなこと言われちゃ、何ともなくとも食品の偽装や食中毒の可能性を疑ってしまうではないか・・・それとも、主人は未だ探り探りで疑念を抱きつつ日本食もどきを客にだしているのだろうか?そんなストレスのかかる食事は御免被る・・・(;´Д`)ハァハァ 

・「掃き溜めに鶴」
 幾ら料理人が傑物でも、店自体が掃き溜めでは拙かろう・・・てか、掃き溜めに飲食店を出すなよ・・・・(;゚д゚) 

 

ここまで来ると狙っているのだろうか?
ご立派な悶々に、日本刀、甲冑、陵辱まがいの乱交現場など、往年の『ライジング・サン』を思い出したが、ご時世を顧みれば極東の斜陽の島国に、唯一の超大国と13億の目覚めた獅子がアレルギー反応を示す必要もあるまいに・・・・
いっそ、FUJIYAMA&GEISYA,SAMURAI,HARAKIRIのイメージの方がいくらかマシに思える。
違う場面ではこんなものもあった。

・「治に居て乱を忘れず」
 日本人ですら意味(「平時にも万が一に備えよ」出典:易経)が分かるものは少ないだろう。少なくとも輸入車店に相応しい言葉ではあるまい・・・・typhoon 

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殉情詩集

P4070043_3   本日の晩餐。
・・・・・・今日もパスタrestaurant
っていうか、メニューすら昨日と全く同じじゃあ~りませんか!?
さては、手軽さと好物のホタテさえ入っていればなんとかなると開き直りましたね( ゚Д゚)!?
失敬な、本日は缶詰ではなく刺身用のホタテを使いました!
それに、本 日は鷹の爪を焦がしてみましたよ(゚∀゚)ノ
ずばり身を焦がす大人の恋のような渋い苦みを演出してみましたcatface
決してシャブリでDrunkCookingをしていたら、床にこぼしてしまって慌てて拭いているうちに焦げたわけではありませんよcrying

 
・閑話P4080051休題
先日、父がPCのソフトウェアを持ってきた。
そのディスクが納められていたケースの内側に書かれていた謎が謎を呼ぶ怪しげな暗号・・・
『とらさん 純情詩集』
もちろん、ソフトウェアの内容は全く関係なく、渥美清は出ては来ない。

親愛なるお父様・・・これは、どういったダイイングメッセージでありますか(;´Д`)ノ
数ある中から唯一マドンナが死ぬこの作品を選んだ理由などは、あるのでしょうか?
「人間はどうして死ぬのでしょう?」と聞かれたところで、僕は答えを持っていませんよtyphoon
確かに、山田洋二の描き出す人間劇は秀逸で、かつ壇ふみ京マチ子がダブルマドンナを務めているなど豪奢な一品ではありますが、僕が「男はつらいよ」シリーズが苦手なことを知っての仕打ちですか!?
てか、寅さんの設定っておいくつですか?
欲情こそすれど、僕は、もはや1/3の純情すら持ち合わせていませんよ!?

P4080052

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2008.04.09

絶望シタ・・・

HDDに録画してあった『俗・さよなら糸色望先生』の最終話を見る。
彼処で報道されていたとおり、確かに思わず首が微妙に縦に伸~びそうな、比率になっていた。
これも比率が前提されている故の違和感なのだろうか・・・ハビミョウ
例によって、このことすら本誌でネタになるのだろうなぁwobbly

 
P4060021_3 本日の催眠導入剤→。
カマンベール付き。
お供は、ウディ・アレン(僕のユダヤ系アメリカ人に対する好感はこの人に起因するかもしれない)の『タロットカード殺人事件』。
文字通り氾濫するエスプリを追っているうちに眠くなるだろう。
ああ、全く持って季節外れだが、ビュッシュ・ド・ノエルが食べたくて仕方ない気分だ。
映画とは全く関係ないが・・・

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2008.03.08

So Cool

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2008.02.21

AKIRA

大友克洋「AKIRA」がハリウッドで実写化されるそうだ。
映画化の版権を買い取ったのはワーナーで、「ブレードランナー」的なものを目指しているらしい。
20011112011352_48458 しかし、この作品が実写化されるという話は何度も聞かされ(例えば6年前にも)、その度にお流れになったのも知っているわけで……また、方向性は正しいとしても「ブレードランナー」を目指して失敗した作品は夜空に輝く星のように散見しているから、あまり期待することなく待っていよう。
もっとも、ヘロインのような描写のある作品だから、そのことにかけてはエキスパートなハリウッドが実写化するのは恐らく正しい。

監督は、CM界出身の新鋭Ruairi Robinsonで、脚本はGary Witta(“Book of Eli”)が執筆。プロデュースは、アンドリュー・ラザー、レオナルド・ディカプリオ、ジェニファー・ダヴィソン

とのことだが、個人的にはデヴィッド・リンチあたりで見てみたかったのだが・・・
異なるベクトルでデ・パルマでも良いんだけど、無理矢理「夢落ち」にされそうだからなぁsleepy

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2008.02.20

ミクロの決死圏

原題「Fantastic Voyage」1966年、米
製作:ソール・デビッド
監督:リチャード・フライシャー
脚本:ハリー・クライナー
美術:ジャック・マーティン・スミス
    デイル・ヘネシー
    ウォルター・スコット
    スチュワート・A・ライス
撮影:アーネスト・ラズロ
音楽:レナード・ローゼンマン

出演:スティーブン・ボイド
    ラクエル・ウェルチ
    エドモンド・オブライエン
    アーサー・ケネディ

   
ドナルド・プリーゼンス


昨晩やっていたのを、およそ20年ぶりくらいに鑑賞。
もうすぐアカデミーの時期だから、その特集の一巻と思われる。
フライシャー監督といえば、『海底二万里』の方が有名かも?
また、主演のボイドにとっては『ベンハー』などと並ぶ代表作。
といっても、40歳を前に早世したはずだから、作品の数そのものが少ないのだが・・・・

東側から亡命してきた所をスパイによって襲われ脳内出血に倒れた博士を、ミクロ化(つまりスモールライトだ)して博士の体内に入り、内部から外科治療をするという、とんでもなSF譚。
ミクロ化のタイムリミットは60分。
人体の内部は神秘的な小宇宙が拡がっており、幻想的な光景・・・というかサイケデリックなドラッグムービーの気もしないこともないが・・・が、これでもかと映し出される。
肝心なところでレーザー銃が故障していたり、どうみても数合わせとお色気要員としてのみ加えられたとしか思えない女性隊員とか、臆病な役割を割り振られた上に免疫機能に殺されてしまう脳外科医とか、体内に残された潜水艇の残骸が復元したらどうなる、など突っ込みどころは数多で、お馬鹿映画な気もするが、アカデミー賞の美術監督賞、特撮視覚効果賞にも輝いており当時としては革新的な作品だった(のだろう)。
というか、自分の体内をあんな濃ゆい男どもが汗まみれになって徘徊していると考えれば、おぇ~っとなる。
子供の頃は、もーっとどきどきした覚えがあったのになぁ・・・

この手のSF映画にとって時代による技術の革新は残酷なもので、いかに優れていようとも、「CGもない当時の状況を鑑みれば」という枕詞を添えた上で、素晴らしい出来の作品だと語られてしまう。
電卓もまだ普及してなかった時代だものなぁpc
しかし、今も、そのタイトルと設定だけは捩られたりパロディにされて再生産されている、原題はお構いなしに・・・

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2007.12.29

大列車作戦 The Train

数刻後には悪魔が来たりて候。

 

フランケンハイマーの『大列車作戦』(1964)を見て余命を過ごす。

実話に基づいた美談なのか気狂いな話なのかは僕には定かではないが、内容が他人事とは思えぬ。

明らかにルーブルの絵画の方が人命より尊い。

そうすることを自ずから志向しているか、外在的な力によって意図せず志向しているかはともかくとして、結局のところ残されたものが人命ではなく名画の数々だ。

「絵を護って下さい。ルーブルの芸術はフランスの誇りです!」という願い・目的の為に「人質の命には替えられん」という当初の解答は後退し絵の傍らに死体が転がる。

これも芸術作品が歴史的民族の世界を世開するからだろうか?

絵画という民族の誇りのために敵味方ともに人間は総動員され、物象化され丸太のように転がっていく。

ジャンヌ・モロー演じる宿屋の女主人が出したコーヒーが誰にも飲まれることなくただ冷めていくように、丸太は冷たくなっていく。

彼女は「男は馬鹿よ、英雄になろうとして死んでいく」と嘆くが、果たして彼らは英雄になったのだろうか?

列車に積まれていた印象派の数々の作品は、世界と大地の間に住まう人々の生ける生活を題材としているのだから、まさに民族の世界か・・・?

ポール・スコフィールド演じる大佐は、戦争というものに関係なく一貫して狂っているし、彼が美術マニアなのか蒐集自体のマニアなのかもわからない(勿論戦費の為というのは詭弁だろう)。

が、そんな彼も秀逸な印象を残して絵画のために死んでいく。

立場上誰も彼に逆らえないが、他のドイツ兵は誰も心から彼自身と彼の目的に忠誠を誓ってはいないことを考えると、やはり芸術作品は民族の壁を越えるものではないのだろうか?

しかし、芸術作品は真に民族の世界を開くのか?

 

大佐の最期の言葉の方が頷けるのだが、それは拙いだろうなぁ・・・

それにしても悪役の最期としてこれ以上にない台詞だ。

 

「君は勝ったつもりか?・・・豚どもに芸術は解るまい。この絵は私のものだ・・・」

 

事実、女主人の嘆きに「フランスの宝を護るために戦ったんだ!」と答えた主人公は実際に残された絵画を見たことがなかったのだから・・・

  

それはさておき、別に僕はルーブルの名画では決してく何も開示しえないが、煉獄へと連れ去られるのを誰か妨害してはくれないだろうか?

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