学問・資格

2009.02.13

ダーウィン

今年の2月12日でダーウィン生誕200年。
生誕地の英国では偉人の業績を祝して記念行事などが執り行われいるらしいが、一方で米国ではCNNの伝えるところによると、世論調査の結果は同国において進化論を信じているひとは僅か39%(全く信じてない人は25%)にとどまっていることが明らかになったらしい。
主な理由は信仰上の問題で、昨年の調査では44%もの人が、「神が一晩のうちに人間を作り出した」と考えているそうだ。
南部などの保守的な信仰が色濃く残っている地域では学校の授業で進化論の取り扱いが問題になっている、という報道を度々耳にしていたが、想像していたより遙かに高い数字だ。
ここ数年、異なる文脈(根底において通底するのかもしれないが・・・)において、同国内における人々の2極化・分裂への危惧が盛んに叫ばれていたが、進化論を肯定する人々と否定する人々との間の対話による融和はより困難に思えるのだが……
肯定する側にどっぷりつかった人間からすれば、否定する人々はアマゾンの奥地に住まい独自の文化的生活を営む人々と同じぐらい差異を感じるのだが(※肯定・否定そのものに価値もその優劣もない。尤もある領域において支配的な価値観というものは当然存在するが・・・)

確かに、旧来の伝統的価値観の内に住まい、それを維持しようとする人々にとって進化論など以ての外の、頭痛の種以外の何ものでもないだろう。
ことによると彼らが戦っていると信じている他宗教の原理主義者よりもたちが悪いのかもしれないし、コペルニクス以来の仇敵だろう。
彼らからすれば、ダーウィンが唱えた自然淘汰説、生物の世界の秩序はランダムな突然変異の中から自然淘汰が適宜に有用なスキームを選りだし進化してきたという考え方など、神を恐れぬ悪魔の所行に他ならないに違いない。
進化論を認めてしまえば、人は神に選ばれた存在でも、神によって創られた存在でもなくなり、世界は神の寵愛を失う。
もろもろの生物は人間のために造られたのではなくなり、人間は世界の中心から転げ落ちることになり、もはや神から人間へ至る道など跡形もなく消失してしまう。
適者生存、自然淘汰いずれも崇高さとはほど遠い。
そんなことになったら倫理的苦悩は計り知れず、これまで問う必要の無かった問題が次々と湧き上がってくることになる(例えば自己の存在理由、来歴etc)、問題は人類の祖先がサルであるか否かだけに留まらない…。
などと考えると進化論の否定に対して同情の余地がないこともない(少なくとも特殊創造説を教えろなどと言う輩に比べれば…)のだが、残念ながら昨今の科学が示すところに同情はないようだ。

天国は、罪によってではなく自然科学によって消失したわけだ。

形而上学批判の立場から見れば、旧来の宗教的伝統も自然科学もその内部で働いている動力は基を一つにするのだから皮肉なものだが…

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2008.10.02

この物語はフィクションです。

5月22日の日記にて、

★「以下の作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件などには、一切関係がありません。しかし、私が実生活で知っている人々もほとんど架空なので、この断り書きには大した意味はありません」

と記したが、上記に対するベンサム的補足にして補完。

「われわれの精神のなかに生じる何事についても、フィクションというやり方以外では、語ることはできないし、考えることも覚束ない」
       (Bentham,“A Fragment on Ontology,”p.199 )

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2008.09.21

スミソニアン・インスティテューション

米スミソニアン協会が歴史・科学・文化的な所蔵品1億3700万点をデジタルコンテンツ化しオンライン公開する方針を発表した。
屡々ネットの功罪が叫ばれるが、これは地域性を霧散するネットの特質の良い面だろう。
社会と博物館の関係が希薄になってる中、博物館側からのこうした働きかけは局面を変えるだろうか?

とはいえ、いつ頃から公開されるのか興味津々。
勿論実際に現地に赴いてそれらに接することがベストであろうが、現実問題無理であるからしてバーチャルであろうともその機会が得られることには興奮する。
スミソニアン協会に属するものとしては、ざっと上げるだけで米国立歴史博物館、民俗学研究所、天文観測所、パナマ地峡生物研究所、ナショナルギャラリー、フリーア美術館、ワシントン国立航空宇宙博物館などと枚挙にいとわないわけで………あぁそれらに埋もれて暮らしたい……想像するだけで鼻血が出そうだ。
国立歴史博物館ならアメリカ史に精通出来るだろうし、ナショナルギャラリーにはルネサンスのラファエロの『アルバの聖母子』から17世紀オランダの風景画、現代美術まで多士済々(惜しむらくは総大理石造りの新古典主義様式の美術館西館自体がみられないことか?)、フリーア美術館でオンライン上で日本の古典美術と出会い、航空宇宙博物館でライト兄弟のフライヤー1号、リンドバーグのスピリットオブセントルイス、アポロ11号と月の岩石と合間みれる!!

でもやっぱり実物を生で見てみたいなぁ……
或いは自分のゴーストをネットの海にダイブさせることができたならなぁ…

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2008.04.01

黄檗寺に行こう その2

河原町から京阪に乗り換え、中書島でさらに電車を乗り換え黄檗駅を目指す。
電車に乗ってきた外人についつい目がいく。
身体が規格外に大きい、あんな女性ものの大きな靴を履いてる人を初めて見たboutique
身体も大きいが、身につけたコロンも相当きついsad
なんというか、大雑把なスケールの大きな臭い・・・
男性の方は、往年の名助っ人キーオにそっくりだったが、知人には絶対分からないネタだろうから心にしまう。
各停の列車に揺られ行楽らしくなってくる。
朝すっきりとしなかった天気も次第に回復し、空の青色もその権勢を取り戻す。
窓を流れる景色も桜色が花を添え、時のリズムもゆっくりとしたロンドを刻み出す。
 

改札口にて、(丁度先日に会ったばっかりだった)大津絵が専門の某さんを発見。
P3280143_3 合流し、駅から歩くこと数分、目的地の黄檗(おうばく)山万福寺に到着。
思っていたよりかなり大きなお寺であった。
桜は八分咲きといった感じであったが、僕の好きな絢爛な椿の花はやや盛りを過ぎていた。
既に参加者は集合していたようでそこに加わる。
二人の知人以外全く知らない方々であり緊張する。
加えて、参加者は国文学専攻の人が大半であり、顔見せもなく、自分の知らない空気の流れに早くもたじろぐ。
そもそも、いい加減な動機で参加しているためますます気まずい。
およびでない感をひしひしと感じ、出来る限り対人関係よりも目の前の物に徹することにする。

 

P3280130_2 ・黄檗山万福寺
禅宗の一派、黄檗宗の総本山。日本三禅宗と言えば臨済宗、曹洞宗、黄檗宗を指す(らしいが、正直前者2名とは知名度に格段の差があるように思われる)
黄檗山とはもともと中国福建省安渓県の山の名前であり、樹皮が染料となる黄檗(きはだ)という樹木が多かったことからこの名がついたらしい(よって、この宇治に黄檗が群生しているかは不明)。
日本に伝来したのは江戸時代に隠元僕の大嫌いなインゲン豆はここからきているらしい)が清の乱を避け、長崎崇福寺の逸然らの度重なる懇請によって来日し、山城国宇治に中国のものと同規模の堂宇を建立し、黄檗山万福寺の名もそのまま移したのが、始まりらしい。
P3280003 時は1654年、有名な3代・5代に挟まれてこれまた知名度の低い4代将軍徳川家綱の時代であり、画像に葵の紋が見られるのもその所縁によるものである。
その後、明治維新下において一時臨済宗と合併させられたが、暫くして再び独立し現在に至るらしい。
宗風は臨済禅に近く、明朝の念仏禅(つまり明代の中国語の発音)を伝えているのが特徴らしい。
P3280012_2 辞書に書いてあったのはこの程度のことであったが、明からの影響はその伽藍や数々の重文を見る方が遙かに雄弁であった。

京都の寺とも奈良の寺とも、趣が異なる佇まいに、心躍る。
門の前で、→の宣告を発見。
僧侶の在り方を律する1文だが、やはり拒まれている気がするtyphoon
花見酒も乙かもしれないとは思ってはいたが、酒を飲んだのは昨晩のことだから大丈夫と思いたいbeer

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2008.03.27

死んだ後

「死は哲学の為めに真の、気息を嘘き込む神である、導きの神(Musagetes)である」

 
と言ったのは

Schopenhauerだったろうか?
そして、死というものは同時に生について考えさせずにはいられない。
 

スペイン北部ブルゴス近郊の洞窟で、120~110万年前のヒト(ホモ)属とみられる下顎の化石が見つかったそうだ。
発見されたものの中では欧州において最古の人類化石であり、アフリカで猿人から進化したヒト属が従来考えられていたよりも早く西欧に到達していたことになるらしい。
いずれ、技術によって化石に新たな肉体を纏った姿をみることが出来るかもしれない。
僕は、その手のプロパーではないので、このことからどういうことが言えるのかは分からないが、自分たちの起源に迫るという行為は興味深い。

しかし、化石とはかくも雄弁なものか?
それは、かつて在った死してある生の痕跡であり、洞窟という場所はより象徴的な想像に人々を誘う。
化石は、死した肉体を亡霊のように立ち上がらせ、幻を膨らませ、震える。
「幻」のまわりで生は色彩を帯び、舞踏を踊り、拡散する。
死の喘ぎは、原始的なリズムと共に洞窟の中で反響する。

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2008.02.27

記号は戯れる

昨日、HEPの前を歩きながらいい加減なことを言った気がするので確認。
とはいえ、『一般言語学講義』をわざわざ紐解く気力はないので適当な感じで・・・typhoon
まぁ、父と違い僕にはソシュールに大した義理もないし・・・

過去に学習したものが記憶からとめどなく欠落していくことに老いを感じる今日この頃だ・・・いつでも瞬時にアクセスできる脳内外自己アーカイブが欲しいと思うことこの上ないが・・・key

シニフィアン  シニフィエ

significant          signifié

記号表現    記号内容

 

例えば、「」という語において、前者は「花」という文字や「はな」というおとを指し、後者は「花」という概念イメージおよびその意味内容を指す。

両者は互いにコインの表裏の様な一体となる存在であり、併せてシーニュ(signe)つまり記号となる。
しかし、両者の関係は何らの必然性を持ったものではなく、あくまで恣意的なものに過ぎない。

以上、了

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