ダーウィン
今年の2月12日でダーウィン生誕200年。
生誕地の英国では偉人の業績を祝して記念行事などが執り行われいるらしいが、一方で米国ではCNNの伝えるところによると、世論調査の結果は同国において進化論を信じているひとは僅か39%(全く信じてない人は25%)にとどまっていることが明らかになったらしい。
主な理由は信仰上の問題で、昨年の調査では44%もの人が、「神が一晩のうちに人間を作り出した」と考えているそうだ。
南部などの保守的な信仰が色濃く残っている地域では学校の授業で進化論の取り扱いが問題になっている、という報道を度々耳にしていたが、想像していたより遙かに高い数字だ。
ここ数年、異なる文脈(根底において通底するのかもしれないが・・・)において、同国内における人々の2極化・分裂への危惧が盛んに叫ばれていたが、進化論を肯定する人々と否定する人々との間の対話による融和はより困難に思えるのだが……
肯定する側にどっぷりつかった人間からすれば、否定する人々はアマゾンの奥地に住まい独自の文化的生活を営む人々と同じぐらい差異を感じるのだが(※肯定・否定そのものに価値もその優劣もない。尤もある領域において支配的な価値観というものは当然存在するが・・・)。
確かに、旧来の伝統的価値観の内に住まい、それを維持しようとする人々にとって進化論など以ての外の、頭痛の種以外の何ものでもないだろう。
ことによると彼らが戦っていると信じている他宗教の原理主義者よりもたちが悪いのかもしれないし、コペルニクス以来の仇敵だろう。
彼らからすれば、ダーウィンが唱えた自然淘汰説、生物の世界の秩序はランダムな突然変異の中から自然淘汰が適宜に有用なスキームを選りだし進化してきたという考え方など、神を恐れぬ悪魔の所行に他ならないに違いない。
進化論を認めてしまえば、人は神に選ばれた存在でも、神によって創られた存在でもなくなり、世界は神の寵愛を失う。
もろもろの生物は人間のために造られたのではなくなり、人間は世界の中心から転げ落ちることになり、もはや神から人間へ至る道など跡形もなく消失してしまう。
適者生存、自然淘汰いずれも崇高さとはほど遠い。
そんなことになったら倫理的苦悩は計り知れず、これまで問う必要の無かった問題が次々と湧き上がってくることになる(例えば自己の存在理由、来歴etc)、問題は人類の祖先がサルであるか否かだけに留まらない…。
などと考えると進化論の否定に対して同情の余地がないこともない(少なくとも特殊創造説を教えろなどと言う輩に比べれば…)のだが、残念ながら昨今の科学が示すところに同情はないようだ。
天国は、罪によってではなく自然科学によって消失したわけだ。
形而上学批判の立場から見れば、旧来の宗教的伝統も自然科学もその内部で働いている動力は基を一つにするのだから皮肉なものだが…
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