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2009.07.28

八雲立つ その6 「決戦前夜」

御神籤の神話的暴力(勿論ベンヤミンの言うところのそれではない)にやられ傷心のまま出雲大社を離れ、傘を買うべく車を走らす。
大社近くの道の駅に行くも、およそ道の駅ではなく一杯食わされる。
暫く彷徨いコンビニ辿り着き、傘と絆創膏を購入。
店内のBGMがThe Alfeeだったのはミステリー。

ちょうど昼食時の時間になったので食事処を探す。
当初は出雲蕎麦を食べようということになっていたのだが、出雲大社に行く前に前を通った島根ワイナリーに食べる処が併設されているかもしれない、土産購入がてら行ってみようと提案する。
実のところ、その時僕の心は既に行きしなに見た島根牛の看板で一杯で、心は既に決まっていた。
噂に聞く出雲蕎麦にも興味はあるが、食の嗜好としては断然、和牛である。

いざワイナリーにつくと、何処からともなく肉が焼ける香ばしい臭いが漂ってくる。
どうやら知人もその麗しきフレグランスにやられているようだ。

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ならば後は一押しだ、理由さえ見つけてやればいい。

  • 僕たちは決して傾向性流されているのではなく、敢えて出雲蕎麦ではなく島根牛を食することにした。
  • 島根の経済を考えれば単価的に蕎麦より和牛の方が高いに決まっている、よって僕らは島根の経済のためにあえて自らの経済的損益も顧みず島根牛を食べるのだ。
  • 体調のことを考えれば蕎麦の方が健康的に決まっている、知人など旅に出る前日に肉を食べて嘔吐している、それにもかかわらず敢えてストイックかつ精神鍛錬の為に脂身も多くもはや毒をいっても過言ではない島根牛を危険を顧みず果敢に喰らうのだ。
  • かと言って、島根名物出雲蕎麦を忘却したわけでは決してない、桃鉄ならば間違いなく出雲蕎麦屋を買い占め独占を築く僕が愛しい出雲蕎麦のことを忘れようか、否、旅は明日も続くのだから好きなものは最期に取っておこうという訳である。

そんなことを適当にほざいている間にも歩は島根牛を扱っているレストランの前まで到達。
出雲蕎麦を忘れた頃には、美味しそうにジューという血肉沸き踊るシンフォニーと香しいフレグランスが目の前で奏でられていた。

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一緒についてきたホルモンは焼き加減がいまいち掴めず微妙だったが、島根牛そのものはとっても美味であった。
焼き肉奉行の知人に感謝!
強いて言えば、味のIT革命或いは口の中が郵政民営化といったところかΣ( ゜Д゜)ハッ!
難を言えば、車で来ているためアルコールを飲めないことか?
セットについてきたグレープジュースが思いの外美味しく、前夜に飲んだ葡萄神話という名の島根ワインで既に味を占めていたものだから、ワインはさぞかし肉にあうと想像されたわけで……

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2009.07.27

八雲立つ その5 「出雲大社弐」

参道を進み本殿近くまで到達。P7190114_2
と言っても「平成の大遷宮」中のため、見えたのは(仮)の御本殿。
後方にチョバムアーマーの如く素屋根で守られた本来の御本殿が覗く。
八雲山に抱かれた大社造りを見てみたい気もする。
「大社造り」と言えば日本最古の神社建築様式で、僕は「○×最古」といった文句に弱いのだ。
申し込めば、檜皮の解体が行われる前の御本殿大屋根を間近で拝観出来るようだが、高温の素屋根内を30~40分と言われるとそこまでのモチベーションはない。
それにTシャツにデニムという僕の服装は残念ながらドレスコードに抵触するようだ。

参拝前に銅鳥居周辺に並ぶ、干支?の銅像や大量の括り付けられた御神籤、掛けられた絵馬を観察する。
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誰が置いたのか、人参が馬の口元の近くに置かれていたのが笑える。
馬だから人参というわけではないようで、隣の 牛の銅像や前出の因幡の素兎の像の近くにも何故か人参が置かれていた。
P7190118しかし、写真からも分かるように、このお馬さんは重度のメタボなようで、自重を支えきれず腹の下に支えを必要としているぐらいだから無闇に食べ物を与えるのも考えものであろう。
この馬の銅像、前から見ると初期アニメ版の星闘士聖也のペガサスの聖衣の台座の顔にそっくりのように思えるのは僕だけか?
まさにブロンズなだけに…(・∀・)ニヤニヤ

お馬さんたちの横には絵馬が並ぶ。
家族の健康を祈ったものから、受験合格祈願、御祭神にあやかって縁結びを願うものまで願掛けは様々。
両親が息子の良縁を切に願った絵馬など、世知辛くて、見知らぬ息子さんに向かって「婚活頑張れ」と叫びたいほどに、胸が締め付けられる。
まぁ、もし自分が息子の側で自分の知らぬところで両親にそんな絵馬を掛けられていたら、死んでも結婚するかgawkと思うがな…
また、愛知県愛西市にお住まい(実際には末尾まで住所が事細かに記されていた)Iさんは

「男を磨いて、福○まり△さん(ハーフ)とお付き合いしたい!」

と煩悩まみれの願掛けをしていた。
もはや、神に対する願いなのか神に対する宣誓なのか定かではないが、お相手の女性が(ハーフ)であることは大変重要らしい…( ゚д゚)ポカーン
同姓同名のハーフではない知り合いがいるのかどうかは分からないが、事細かな自分の住所の記載と言い、ハーフの指定といい、神に願掛けしておきながらいまいち神の能力を信じてない節があり笑える。

それにしても、絵馬って野晒しにされた個人情報の固まりのような気がしてならない。

冷やかしを終え、ようやく参拝。
しめ縄が根太で馬鹿でかい。
どんだけ納豆をつくるつもりなんだ(´ρ`)ぽか~ん?

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並んでいると、陽気ないい歳したおっさんが、遠くからお賽銭を投げたことを警備のおっさんに危ないからダメと怒られていた。
おっさんは照れ笑いを浮かべていたが、隣の奥さんが見つめる目は思いの外優しくない。
参拝する元?サルトリアンの知人の姿を見て、神頼みではなくやはり自分のサイコロは自分で振るべきだろうと思い、参拝を取りやめる。
「今はまだ、何でもかんでも神頼みする心の弱い大人になんかなりたくない」と尾崎豊風に心の中で呟いてみる。
思えば、この行為が神をも恐れぬ行為だったのか?

参拝を終えた後、宝物庫を見学する。
少しばかりミリオタな知人は、刀剣や銃に興味津々のようであった。
僕としては、「天下無双の大廈・国中第一の霊神」と称えられた古代の御本殿の復元図に興味を引かれる。
現在のものより全然格好いいではないか!?
奈良の東大寺大仏殿(約45㍍)より大きかったそうだ。P7190127
古代に一体どうやってこんな馬鹿でかいものを作ったのだろう?
オーパーツな臭いがしで断然興奮する。
上部の社本体が巨大ロボのコクピットで、階段はそこまでの通路、内部に入り光彩を認識した後起動し、周囲の光学迷彩で隠されていた部分が出現するに違いないモヒャ━━((゜Д゜Uu))━━!!!!!!
恐るべし高天原の科学力!!
「エヴァから入ってクラシック」がありなら、「巨大ロボから入って神道」もありですよね!?
他にも応用は効きそうだ。

  • 樹なつみ「八雲立つ」 → 出雲
  • 永井豪「凄の王」 → 出雲
  • 萩野真「孔雀王」 → 出雲

 

宝物庫を鑑賞した後お神籤を引く。
小雨降る中引いた御神籤は、ぐうの音も出ないほどの惨憺たる御神籤だった。

「衰運の年、何をやってもダメ、八方ふさがり、耐えて小さなことからこつこつと 死なぬ程度に生かしてやる」

的なことが書かれている。
まさに、今は「耐え難きを耐え忍び難きを忍び」的な玉音放送かと疑うようなことが書かれていたが、四半世紀以上生きてきてこんなに酷い御神籤は初めてだ。・゚゚・(≧д≦)・゚゚・。
衰運も何も、この御神籤から衰運は始まったのではないか?
「病重くも治る」って、一度は重病にかかるのですか?……それとも僕の中2病のことを言ってるのですか?……嬉しくない。
対照的に、知人の引いた御神籤は至って良好なことが記されており、自分の引いた御神籤を見せると軽く言葉に困った後に、「そんな気にすることないって」と優しく慰められた。
一瞬友人がドラえもんに出てくる映画版ジャイアン以上に頼もしくなんだかいい人に見えたが、しかし、今はその優しさが重く僕の肩にのし掛かり辛い。
知人曰く、僕自身で思ってた以上に、僕は凹んでる様子だったそうだ。
心の弱い大人にはなりたくないと高らかに叫んだものの、数刻もせず僕の心は思いの外もろく弱い大人のものであったことが判明し、絶望した_ノフ○ グッタリ

その後、縁結びのはずがとっても縁起の悪い不吉な御神籤を木に結びつけていると、小雨が大雨に変わった。
既に木々は結ばれた御神籤で一杯でなかなか結びつける場所がない。
なんとか隙間を見つけて結びつけていると、竹で指を挟み血が出てきた。
更に、御神籤にその血が付き雨で滲み、益々不吉な御神籤になってしまった(;´Д⊂
そうこうするうちに雨がどんどん強くなり、僕たちは傘を持って無かったので、遺恨を胸に抱えたまま観光を切り上げることにした。

この雨は、僕の涙雨か?不届き者への神の御業か?
後者だとしたら、不安をたたみ掛ける悪徳商法に相違ない。
……絶望したil||li _| ̄|○ il||li

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2009.07.23

八雲立つ その4 「出雲大社一」

そうこうするうちに出雲大社に到着。
隣接する島根県立古代出雲歴史博物館に駐車する。
わざわざその名に古代と冠しているが、果たして現代出雲歴史博物館はあるのだろうか?とりたてて出雲の現代が脚光を浴びるのを耳にしたことはないが…と思う。

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ポツリポツリと雨が降り天気が優れないせいか、思ったより観光客が少ない。
京都などの神社仏閣と異なり、外人さんの姿も少ない。
3連休の真ん中なのに大丈夫なのか?
この参道入り口を中心に前の道は3叉路になっており、出雲大社と書かれた石柱の対面の建物には「海に行こう!」とある。
P7190082 神を前に随分堂々とした営業妨害だなぁと感心するΣ( ̄ロ ̄lll)
確かに、日本海はすぐそこだが、この天気では海に行く客も少なそうだ。
また、写真右下部に切れて「善哉発祥の地」とあるが、小豆嫌いの僕にとっては、大変迷惑なものを開発してくれたわけで、苦虫を噛みつぶしたような気分になったのは言うまでもない。
この参道入り口の鳥居にしても、600メートルほど南に南下した町中に突如出現する大鳥居(日本一らしい)に完全に食われてしまっているし、出雲大社が観光の中心であるはずが、町おこしに対しどこかちぐはぐな気が…。

なんだかなぁと、いつもの感じの悪い観光客オーラを身に纏い左右を松に囲まれた参道を本殿に向けて歩を進める。P7190097

参道の左右には日本神話をイメージした作品が並ぶ。
一つ目に出くわしたのは「神話の社」、レリーフがなければまず分からないモダンアートΣ( ̄ロ ̄lll)
悠久の時の流れの中で、少しずつ変化する自然と、そこに集う神話の動物たちが戯れる姿を抽象的に描いたと言われても…これが「Art as Art」というものか?
古代よりの神域の中で、明らかに浮いている完全に自律的にして自己完結したその表現に、逆説的に神的なものを感じ取れという無理難題か?
原爆関係の祈念碑と言われても納得してしまいそうだが…

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次に出くわしたのは、「ムズビの御神像」。

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P7190112 記紀に出てくる、大國主大神が「幸魂奇魂」を拝戴する情景を描いたものらしい。
小学校低学年児童がいたら間違いなく一人は、「キ○タマヘ(゚∀゚ヘ)アヒャ」と連呼するに違いないその造形は、誰にも至極分かりやすく先ほどのモダンアートと異なり多くの客を集めていた。
縁結びの神様だけに流石に出雲大社の御祭神大國主大神といったところか?
伊達に濃ゆく描かれてはいないな、と一瞬思ったが、ゴルゴもおののく永井豪作品並の眉毛の濃さに少々濃く描きすぎじゃないかとも思う!?
いっそ安易な金儲けに走り、どっかの神社のように萌え化して、デフォルメ&中性美少年造形で聖地巡礼、オタクツーリズムのメッカになった大國主大神も見てみたい気がする。

他には、「因幡の素兎」の像などがあった。

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物語の展開的には、皮を剥がれ潮水に晒されていた後のはずが、ウサギさんは至って五体満足な様子で描かれていた。
個人的には鰐をだました知恵よりも、草食動物の身で鰐を背に海を渡るという度胸に感服させられた説話であったが…
というか、隠岐の島と因幡の間に鰐なんていたのだろうか?

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2009.07.22

八雲立つ その3 「原風景」

二日目。

涼しく快適な朝を迎える。
寝苦しく夏バテせずにはいられない大阪とは大違いで、少し肌寒いくらいだ。
前日の夜に少しばかり呑んだにも関わらずいたって体調も良好、窓から外を覗けばゆったりとした時間が流れており避暑感充溢!

隣で床についてる知人はまだ二度寝をたゆたうつもりのようだったので、一足先に起床し洗顔歯磨き。
改めて部屋を観察した後、知人の寝起き痴態などを激写して暇を潰す。
真っ黒くろすけは残念ながら発見出来なかったが、カラオケセットを発見。
広い田舎の家には共通して何故か昭和感漂うカラオケセットが有るように思うのは僕だけか?

その後暫くして、おばあ様と共に朝食。
温泉や御飯処といった東出雲の情報を教えて貰う。
どうしてそんな話題になったのかは思い出せないが、朝鮮戦争前夜の38度線以北の文化的差異の話など興味深かい会食であった。
文化的差異と言えば、昨日に比べ弱冠ヒアリング率は上がったように思うが、まだまだムルソーから脱せない…typhoon
おばあ様が、出雲大社は縁結びの神様(大国主大神)で有名ということを強調されていたのは、知人への曾孫が早く見たいという遠回しなプレッシャーなのかもしれないということは分かったのだが…、ならば連れてこなければいけない人は他にいるはずだが…( ̄ー ̄)ニヤリ?

午前10時前、出雲大社に向けて出発。
鉛色をした空からは今にも雨が落ちてきそうだ。
山裾に低く雲が幾重にもかかった天然マイナスイオン満載のワインディングロードを川沿いに知人の運転で北上。
窓越しに流れる田圃の稲穂や山の木々が風になびき、青々として緑色の波が打ち寄せている。
村々の家屋の屋根は大部分が赤茶色した瓦に彩られ、周囲の自然とのコントラストが美しい。
屋根の両端にシャチホコが据え付けられた家屋が多くあるのが目を引くが、神話の国だけに信心深い人が多いのだろうか?
道路沿いの看板の多くを占める神話と古代ロマンへの煽り文句に乗せられ、日本人の心の原風景といった胡散臭いものを想像しないこともない。
比せれば、「イギリス人の心の故郷にしてイギリスでもっとも美しい田舎町、コッツウェルズの丘陵地帯」といったところか?…と考えてみたがそんな牧歌的で花薫る雰囲気ではなく、比較自体美化しすぎか、或いはそう思うのは西洋コンプレックスか…?

恐らく定住民でもない限り、あの赤茶色の瓦さえなければ他の地方の田舎の風景とそう大差ない景色のようにも思える。
あの瓦こそが、地理の時間に習った日本三大瓦の一つ、石州瓦というものだろうか?
想像していたより橙色に近く、鉄が多く含んだ粘土瓦なのかしらん?
出雲と言えば古代よりたたら製鉄が有名だし、八岐大蛇の腹が血色に爛れているのは砂鉄で川が濁った様子に起因するという解釈もあるぐらいだし…

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そんなことを考えていたら、1時間も経たないうちに出雲大社の玄関口にして出雲平野の中心都市の一つ出雲市に車は差し掛かっていった。

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2009.07.21

八雲立つ その2 「メロスのように」

中国自動車道から米子道に乗り換え日本海に向けてひた走る。
山を越え高原を駈けトンネルを抜け、眼前に望む大山山嶺の雄姿に心動かされればそこは山陰。
妖怪マイスター水木しげるへのリスペクトを裁ち切り、さらに西に舵を取れば、右手に宍道湖が姿を現す。
生憎の曇天で噂に聞く風光明美な湖岸を伺えなかったのは少々残念だった。
もっとも、山陰に入ってから自然のみをこれでもかとお見舞いされていたので、景勝地は既に充分だった感もあるが…

 

対面交通と車線の増減の激しさに対しクレーム満載の高速道路にやられつつ、山陰の「陰」のイメージを増幅させられた頃には目的地は間近。
車内に流れるレイズナーのOPテーマ「メロスのように」の歌詞に突っ込みつつも、その不条理感はどこか山陰とマッチする所があり、個人的にこの旅のテーマソングに決定。

八岐大蛇の神話で名高い斐伊川と、まさに八雲立つ感じの山々に抱かれた目的地に着いたのは夕方六時前。
想像していた以上に自然豊かな田舎で、僕の夏休み」への期待を裏切らない。

 

滞在の間お世話になる知人のあばあ様に対面、話に聞いていた以上にお元気な様子で、びっくり!!
滑舌など僕の方が遙かに悪い_| ̄|○
目の前を言葉がどんどん飛び交っていく。
が、これまで中国地方と全く縁のない人生を送ってきたため、方言を半分以上理解できず、何の皮肉か思いがけずメロスのように孤独を感じることになった。
どうやら語尾に「~けん」とつくことが多いようで、 <…Lücken der beschreibenden Psychologie zu erganzen, ……Erwirkens……>といった具合のドイツ語のテクストをdenkennし…_ノフ○ グッタリ
あぁ、僕は異邦人。

 

湿度のせいか思ったより蒸していたが、逆にそのお陰でふるまっていただいたメロンが更に美味しい。
とても熟れて美味だが夕飯前にお腹一杯になるのは拙いと内心考えていたところ、おばあ様は「こんなもの(メロン)、水みたいなものだ」と剛気な発言をされる(・_・)エッ....?
そんなばかなと思いつつ、元気の秘訣はこんなところにあるのだろうかとも思う。
そう言えば、僕の実家の祖母もいい歳だが今でも剛気に200㌘程度の肉なら軽く平らげていたっけ…祖母は元気にしているだろうか、久しぶりに連絡を取ろうか…。

それに比べ僕の胃袋ときたら…orz

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八雲立つ その1 「朝顔」

夏本番到来、週末は海の日含めて三連休。
うだる暑さにへきへきしていたところを、突発的な知人の誘いに乗っかりほぼ一日で事を決め、「レンタカーで行く出雲の国、二泊三日突貫プチ旅行」に行く。

知人は今年免許取り立てGW以来の運転、僕も約1ヶ月ぶりの運転、下手をすると出雲国を目指すだけに陰暦10月ではなくとも神在月に逝くことになるかもしれぬ、といった恐れを抱きながら、「いつか避暑地にて有閑マダムの秘書の秘所で卑小な僕も被昇天(*゚∀゚)=3 ムッハー!!という14歳の頃の悲壮な志し再び胸に秘め、現実を置き去りにし、いざいざいざ!

直前の計画立案だった為、レンタカーを中々押さえられず、宝塚から出発。
車を借りるまでが面倒だが、借りてしまえば後は目的地まで9割9分高速で約4時間。
免許を取る際、教習所で高速実習がなくシミュレーターのみしかやってないという知人の発言に少々不安をかき立てられたが、なんだかんだで順調に目的地に向かっていく。

知人の運転を心配していたが、逆に中国山地を縦貫中の自分の運転時に最大の危機に遭遇。
しばしば劇中の死に逝くキャラが言いそうな「死ぬ時って、結構あっけないもんだよなぁ∑q|゚Д゚|pといった感じの台詞が一瞬脳裏に浮かんだが、幸い死亡フラグではなかったようだsweat02
申し訳ないことに、僕だけでなく助手席の知人も死を意識したそうだ。
その後暫くの間緊張感と共に会話が減り、僕はハンドルを握る手を汗ばませながら、176号沿いのレンタカー屋に行く道すがら、清荒神の近くで見つけた藍色の朝顔の花のことを思い出していた。

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朝顔の花言葉は「儚い恋」
まだ秘書にも一夏の思ひ出にも逢わぬうちに儚く散るところであったtyphoon
考えてみれば、この夏休みの課題の定番の発見も死亡フラグ……(;´Д⊂
いと危うし……

朝顔の花言葉にはそのほかに、「貴方に私は絡みつく」といったものがあるが、危うく死に絡みつくところだった…_ノフ○ グッタリ

因みに、朝顔の季語は意外にも秋である。

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2009.07.15

資源化する身体

かつて革命の堕天使と呼ばれたサン・ジュストは、「<徳>も<恐怖>も欲さぬ者たちは何を欲しているのか?」という問いに対し、

「連中は腐敗を欲しているのだ 主体の敗北の別名である腐敗を…」

と答えたのだった。

先日、臓器移植法のA案が可決された。
結果、この国では以後、「一律に脳死は人の死」として扱われることになる。
それも、本人の事前に「臓器提供しない」と意志表明しない限り、脳死は人の死とみさなされ、年齢を問わず家族の同意において臓器提供が行われるようになるらしい。

しかし、以下の点において違和感を感じ得ない。

  • 家族とはいえ血の繋がった他者でしかなく本質的に本人の意志を代弁し得ない。
  • 自己ではない外部が人の死を規定することへの疑問、および判定の精度の信頼性。
  • 事前において臓器提供拒否意志を表明するという逃げ道は、逆説的に、事前に「誰もが臓器提供意志をもっている」という暗黙の前提を想定していることになる。しかし、もしそんな信じがたい前提が事実存在するならば改正の必要もないはずだ。
  • A案が可決された背景には、臓器移植数の増大および移植可能な臓器の確保・拡大という現実的な目的があるように思われる。しかし、それは人間の身体を利用可能な資源とみなしていることに他ならないのではないか。

従来の臓器移植法の中心にあったのは、主体的な個人の(おそらく善/徳への意志に基づいた)臓器提供するという自由意志でり、この個人の自由意志の尊重という点において個人的には支持しうるものであった。
しかし、今回の改正によって主体的な個人の自由意志は中心から遠ざけられてしまった。
月並みな左派的ディスクールを持ち出せば、「道具的理性及び自然の技術的な利用/搾取という機械論的自然観の原理が社会へ拡張された結果、人間も操作可能/利用可能な徴発されうる剥き出しの素材/資源として扱われる対象に他ならなくなった」、という枠組みの問題化だろう。
このような枠組みが問題の解決において有効かどうかはともかくとして、身体の資源化の後押しを政治が行っているという事実をどう捉えるべきか。

そもそも、個人の死というもっとも個人に固有なものを外部が決めるべきことなのか?
また、移植可能な臓器の確保という現実的な目的の為に、個人の主体的な意志が中心から遠ざけられるべきなのか?
主体的に「誰かの為に私の身体を使ってください」というのと、「誰かが助かるために貴方の身体を待っています」と要請されるのでは、事態は全く違う。
以上の疑問から政治的な恐怖を感じる。

もっとも、冒頭のサン・ジュストは自覚的に皿まで喰らう一つの真理として「普遍的善を生み出すのはつねに恐るべし」であるともどこかで言っていたが……

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2009.07.10

At Mall

某日、買い物に近隣のモールへ行く。
買い物かご片手に買い物してると、スケボーの要領でショッピング・カートに加速を付けて飛び乗り高速?移動して遊んでいる子供を発見。
危険かつはた迷惑だが、随分楽しそうだ。
こういった思いつきが浮かんでも親の目を気にして出来なかった自分の子供時代を思うと、少し無謀なこの子供が羨ましい。
大人ぶって物わかりの良い子供を演じるよりも、馬鹿を爆発させる子供時代を送る方が楽しかったのかもしれないと悔恨しないこともないが、時間が巻き戻っても結局出来ない自分が想像に難くない…(;´д`)

それにしても、モールほど遊び心を刺激する場所はそう多くないのではないか?
実際モールが登場する子供向け映画は数え切れないことがそのことを物語ってるのではないか?
モールは、多くの物が揃い、かつ馬鹿でかい!
そりゃあ、ランカ・リーも営業で「ニンジーン」を歌いますわ!!
違法でないなら、今でも深夜の誰もいないモールに忍び込んで遊んでみたいと思うし、品揃えの充実度では僕の子供時代より現在の方が遙かに上だろう。
隠れん坊、サバイバルゲーム、飲料ボトルを並べてボーリング、過剰防衛で強盗撃退.....etc、想像力は無限大!!

とはいえ、少々広すぎて歩き疲れるのも事実なのでセグウェイでも導入していただけないものか??
危険度は少々増しても買い物がより楽しくなることは請け合いなのだがいかがなものかなぁ?
最初はドライブスルーならぬセグウェイスルーあたりから始めたら方向性が見えそうな気もするのだが?

因みに、ダイハードのパロディ映画に、モールの警備員がセグウェイに乗って疾走するものが存在する。
アメリカでは大ヒットだが、日本ではおそらく公開スルー(´・ω・`)ショボーン

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2009.07.09

自艱

玄関を開けるとアブラ蝉の亡骸が転がっていた。
風が吹けば飛んでいってしまいそうなこの骸は、昨日の僕の昼寝の時間に熱心に命を枯らしていた蝉のものだろうか?
果たして彼は自らの痕跡を次代に残すことができたのだろうか?
少なくとも、彼が奏でた蝉時雨は気怠さとして僕の中に痕跡を留めているけれども……

成虫に変態してからのセミの寿命はおよそ1週間から2週間だと言われている。
成虫の蜉蝣なら1日、ネズミのくせにペットとして人気のハツカネズミやスナネズミなら1年から2年でその生涯を終える。
4半世紀から1世紀近く存えるヒトに比べればなんと短い生であることか…
だとすれば、彼らの生を短く儚い命と思い、センチメントに心を着飾るべきか?
蝉の亡骸を目にして、近所の幼児は「かわいそう」と呟いたが…

僕の記憶が確かならば、徒然草に、

「夏の蝉の春秋を知らぬもあるぞかし」

という一節があったように思う。
直訳すれば、「夏の虫である蝉は、春や秋を知らずに死ぬこともあるのだ」となる。
確かに、理性的且つ客観的な物差したるニュートン時間に照らせば、蝉は春も秋も知らずにその生を終えるに違いないし、オタマジャクシとカエルが同じ生き物であるとは知りようもないだろう。
しかし、それは憐憫や儚さを投げ掛ける理由となりえようか?
自分の生を振り返っても客観的な時間と個としての生物的時間とでは、流れ行く様は異なるように思われる。
或いは、ヒトの寿命を蝉の諸々の生物学的特徴に照らしてスケーリングすれば、ヒトが一生をかけて体験することを蝉は1週間のうちに体験しているのかもしれない。
ならば、恒常普遍に時を刻むニュートン時間に照らして、彼らの生に憐憫を募らせるのはどこか的外れなように思われるし、それぞれの生に適切な時間が流れているようにも思われる。

もっとも、個々の死に対しての個人的な悲しみについてはまた別の話だが…

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2009.07.08

Via Lattea

蒸し暑く寝苦しい夜が続く。
梅雨明けず、虚を突いて雨が降るので窓を開けて寝るわけにもいかず…。
まるで「今日はカレーの気分」といった具合の軽い感じで、空模様はコロコロと変わり折に触れては雨が降る。
女心と秋の空移ろいやすいものと言うが、近頃の天気も随分移り気だ。
見上げれば梅雨雲り、天の川星(デネブ)は見えず、織り姫と彦星もステディな逢瀬とはいかなかったようだ。
思えば、生まれてこの方、晴れ渡った七夕に立ち会ったことの方が少ないのではないか?

四十八茶百鼠(生地の色)とはよく言ったもので、日本の空の色は常にどこかハーフトーンがかった色のような気がする。
或いは、寧ろ反対にこの風土がこのような生地の色々を生んだのだろうか?
いずれにせよ、鬱屈した気分が足下を浸し、徐々にその水位を上げ終いには喉元に迫りそうだ。
ならば、宛先を失った手元の短冊のように、早く廃棄せねば…

精神衛生の為にも、カリフォルニアの抜けるような乾いた青い空やサファイアのようなマリア・アッズーラとまではいかなくても、たまには一日通して蒼天の日があって欲しいものだ。

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2009.07.07

ウルムチ騒乱

新彊ウイグル地区ウルムチの騒乱は暴力が更なる暴力を呼び、民族間の憎悪と怨恨は差異の享楽の中で攻撃性を増幅し、出口の見えない事態に向かっているようだ。
http://news.nifty.com/cs/world/chinadetail/rcdc-20090707023/1.htm
当然のことながら情報管制は強まっているようで、事象そのものはよく見えてこないが……死が、暴力が起きている

画一化する世界の中で経済的にも国際的にも躍進する中国という圧倒的な全体存在を前にして、ウイグル族という個の存在、文化はその中でどのように位置づけられ語られてきたのだろうか?
あるいはどこに向かい展開されるのか?

「あらゆる歴史は現在の歴史である」

という格言がある。
歴史とは常に、共存在の間でなされる諸々の意味の変動であり、それも往々にして暴力的な征服による連続的な新たな支配の解釈の創造に他ならないわけだが……

現在のこの騒乱はどのように物語られるべきなのだろうか?
数十年後、国家主義的革命モデルの失敗の刻印を記された墓標においてこの騒乱を見ることになるのだろうか?

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2009.07.06

セロ弾きのゴーシュ

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某日、江坂で入ったおしゃれ~な外観のカフェは、その内実においては日夜労基法に抗うサラリーマンなお父さん達の心のオアシスであった( ゚д゚)ポカーン
健康的な定食メニューの豊富さといい、自然派癒し系で統一された優しげな店員さん達といい、軽くお茶をしに入った僕たちは何とも場違いだった。
何とも居たたまれず、一品注文し直ぐに店を出ることにした。
が、やはり、回りが焼き鮭定食などばかり食べてる中で、スウィーツを注文した僕らの疎外感ときたら……店の外観から察するに僕らの注文は間違ってないはずなのだが…
とても感じの良い店員さんだったのだが、今はその優しさが反対に申し訳なさを募らせる…(*´ェ`*)

漆黒のキャンバスにチェロを浮かび上がらせた白い粉雪。
ゴーシュのセロは、泥棒の野鼠の親子を癒したけれど、この黒いチェロが奏でる旋律は僕の心をなます切りにする……(*_ _)人ゴメンナサイ
願わくば、この粉雪が全てを忘れさせてくれるHであることに一縷の望みをかけるも…

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