2009.07.10

At Mall

某日、買い物に近隣のモールへ行く。
買い物かご片手に買い物してると、スケボーの要領でショッピング・カートに加速を付けて飛び乗り高速?移動して遊んでいる子供を発見。
危険かつはた迷惑だが、随分楽しそうだ。
こういった思いつきが浮かんでも親の目を気にして出来なかった自分の子供時代を思うと、少し無謀なこの子供が羨ましい。
大人ぶって物わかりの良い子供を演じるよりも、馬鹿を爆発させる子供時代を送る方が楽しかったのかもしれないと悔恨しないこともないが、時間が巻き戻っても結局出来ない自分が想像に難くない…(;´д`)

それにしても、モールほど遊び心を刺激する場所はそう多くないのではないか?
実際モールが登場する子供向け映画は数え切れないことがそのことを物語ってるのではないか?
モールは、多くの物が揃い、かつ馬鹿でかい!
そりゃあ、ランカ・リーも営業で「ニンジーン」を歌いますわ!!
違法でないなら、今でも深夜の誰もいないモールに忍び込んで遊んでみたいと思うし、品揃えの充実度では僕の子供時代より現在の方が遙かに上だろう。
隠れん坊、サバイバルゲーム、飲料ボトルを並べてボーリング、過剰防衛で強盗撃退.....etc、想像力は無限大!!

とはいえ、少々広すぎて歩き疲れるのも事実なのでセグウェイでも導入していただけないものか??
危険度は少々増しても買い物がより楽しくなることは請け合いなのだがいかがなものかなぁ?
最初はドライブスルーならぬセグウェイスルーあたりから始めたら方向性が見えそうな気もするのだが?

因みに、ダイハードのパロディ映画に、モールの警備員がセグウェイに乗って疾走するものが存在する。
アメリカでは大ヒットだが、日本ではおそらく公開スルー(´・ω・`)ショボーン

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2009.07.09

自艱

玄関を開けるとアブラ蝉の亡骸が転がっていた。
風が吹けば飛んでいってしまいそうなこの骸は、昨日の僕の昼寝の時間に熱心に命を枯らしていた蝉のものだろうか?
果たして彼は自らの痕跡を次代に残すことができたのだろうか?
少なくとも、彼が奏でた蝉時雨は気怠さとして僕の中に痕跡を留めているけれども……

成虫に変態してからのセミの寿命はおよそ1週間から2週間だと言われている。
成虫の蜉蝣なら1日、ネズミのくせにペットとして人気のハツカネズミやスナネズミなら1年から2年でその生涯を終える。
4半世紀から1世紀近く存えるヒトに比べればなんと短い生であることか…
だとすれば、彼らの生を短く儚い命と思い、センチメントに心を着飾るべきか?
蝉の亡骸を目にして、近所の幼児は「かわいそう」と呟いたが…

僕の記憶が確かならば、徒然草に、

「夏の蝉の春秋を知らぬもあるぞかし」

という一節があったように思う。
直訳すれば、「夏の虫である蝉は、春や秋を知らずに死ぬこともあるのだ」となる。
確かに、理性的且つ客観的な物差したるニュートン時間に照らせば、蝉は春も秋も知らずにその生を終えるに違いないし、オタマジャクシとカエルが同じ生き物であるとは知りようもないだろう。
しかし、それは憐憫や儚さを投げ掛ける理由となりえようか?
自分の生を振り返っても客観的な時間と個としての生物的時間とでは、流れ行く様は異なるように思われる。
或いは、ヒトの寿命を蝉の諸々の生物学的特徴に照らしてスケーリングすれば、ヒトが一生をかけて体験することを蝉は1週間のうちに体験しているのかもしれない。
ならば、恒常普遍に時を刻むニュートン時間に照らして、彼らの生に憐憫を募らせるのはどこか的外れなように思われるし、それぞれの生に適切な時間が流れているようにも思われる。

もっとも、個々の死に対しての個人的な悲しみについてはまた別の話だが…

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2009.07.08

Via Lattea

蒸し暑く寝苦しい夜が続く。
梅雨明けず、虚を突いて雨が降るので窓を開けて寝るわけにもいかず…。
まるで「今日はカレーの気分」といった具合の軽い感じで、空模様はコロコロと変わり折に触れては雨が降る。
女心と秋の空移ろいやすいものと言うが、近頃の天気も随分移り気だ。
見上げれば梅雨雲り、天の川星(デネブ)は見えず、織り姫と彦星もステディな逢瀬とはいかなかったようだ。
思えば、生まれてこの方、晴れ渡った七夕に立ち会ったことの方が少ないのではないか?

四十八茶百鼠(生地の色)とはよく言ったもので、日本の空の色は常にどこかハーフトーンがかった色のような気がする。
或いは、寧ろ反対にこの風土がこのような生地の色々を生んだのだろうか?
いずれにせよ、鬱屈した気分が足下を浸し、徐々にその水位を上げ終いには喉元に迫りそうだ。
ならば、宛先を失った手元の短冊のように、早く廃棄せねば…

精神衛生の為にも、カリフォルニアの抜けるような乾いた青い空やサファイアのようなマリア・アッズーラとまではいかなくても、たまには一日通して蒼天の日があって欲しいものだ。

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2009.07.07

ウルムチ騒乱

新彊ウイグル地区ウルムチの騒乱は暴力が更なる暴力を呼び、民族間の憎悪と怨恨は差異の享楽の中で攻撃性を増幅し、出口の見えない事態に向かっているようだ。
http://news.nifty.com/cs/world/chinadetail/rcdc-20090707023/1.htm
当然のことながら情報管制は強まっているようで、事象そのものはよく見えてこないが……死が、暴力が起きている

画一化する世界の中で経済的にも国際的にも躍進する中国という圧倒的な全体存在を前にして、ウイグル族という個の存在、文化はその中でどのように位置づけられ語られてきたのだろうか?
あるいはどこに向かい展開されるのか?

「あらゆる歴史は現在の歴史である」

という格言がある。
歴史とは常に、共存在の間でなされる諸々の意味の変動であり、それも往々にして暴力的な征服による連続的な新たな支配の解釈の創造に他ならないわけだが……

現在のこの騒乱はどのように物語られるべきなのだろうか?
数十年後、国家主義的革命モデルの失敗の刻印を記された墓標においてこの騒乱を見ることになるのだろうか?

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2009.07.06

セロ弾きのゴーシュ

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某日、江坂で入ったおしゃれ~な外観のカフェは、その内実においては日夜労基法に抗うサラリーマンなお父さん達の心のオアシスであった( ゚д゚)ポカーン
健康的な定食メニューの豊富さといい、自然派癒し系で統一された優しげな店員さん達といい、軽くお茶をしに入った僕たちは何とも場違いだった。
何とも居たたまれず、一品注文し直ぐに店を出ることにした。
が、やはり、回りが焼き鮭定食などばかり食べてる中で、スウィーツを注文した僕らの疎外感ときたら……店の外観から察するに僕らの注文は間違ってないはずなのだが…
とても感じの良い店員さんだったのだが、今はその優しさが反対に申し訳なさを募らせる…(*´ェ`*)

漆黒のキャンバスにチェロを浮かび上がらせた白い粉雪。
ゴーシュのセロは、泥棒の野鼠の親子を癒したけれど、この黒いチェロが奏でる旋律は僕の心をなます切りにする……(*_ _)人ゴメンナサイ
願わくば、この粉雪が全てを忘れさせてくれるHであることに一縷の望みをかけるも…

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